公式の解釈について

風光るは総ちゃんが病に倒れたくらいからずっとコミック派になってて、それも御陵衛士と分裂してた頃からはずっと積読派でした。忙しかったというのもあるんですけど、見たいところはそこじゃないって感じで。今回まとめて読み直しました。読み直して、なんでこんなにクライマックスに向かう過程がやっつけ仕事なんだろう、と思ったのは内緒です。


最終回というか、44巻で近藤先生が亡くなったって知った総司が生きるって決意する過程もすごく雑っ!って思ったり。一回止められたくらいで諦められちゃうような近藤先生への思いだったんですかね? なんかそのあたりから、書き直したいなーと思ったのが奇跡の一か月を焼き直したいと思った所以です。
 

で、さらにあの最終回。いやいやいや。セイちゃんの心の動きについていけません。土方さんエンドはないわー。読者置き去りに、それまで書いていたキャラクターの行動が作者の自己満足で急に一貫性をなくした気がしました。が、コミック読み返してみたら、それなりに納得いったんですよ。


私、セイちゃんと友達にはなれなかったw その場その場で応援する事はしたかもだけど、きっと途中で関係を縁切りしてました。そういう意味では、こういう終り方で納得いっちゃったのは内緒です。公式のセイちゃんは、私には理解できない、気持ち悪い子だったということで。私は博愛主義者じゃないので、どうでもいい事に時間費やしたくない。私の時給いくらだと思ってるの!って感じですね。
 

が、公式はまぁそれで縁切りしたとして、自分の中の風光るはきちんと終わらせたかったのです。なので、私の中にいるセイちゃんと総ちゃんに動いてもらったのが「夢の跡」です。黒ひらめに似てる誠クン。函館にたどり着くまでに一年以上かかった理由はこれ。法眼もいないし、明里さんがきっと助けてくれたと思います。