花吹雪

 舞い散る桜の花に誘われる。

 桜吹雪の名に相応しく、ふわりふわりと風に舞う花びらが、近づいたり遠ざかったりするように記憶の花びらがセイの周りをふわりふわりと舞い上がる。

『総司様』

 花びらの陰にそう呼ばれた時の総司の慌てた顔が見える。その花びらの裏返しには、セイ自身の真っ赤な顔も見える。

『そ、そうですよね。夫婦、なんですもんね』

 セイが俯いたら、そのまま総司も俯いてしまった。二人で俯いて、それでも布団の上で総司とセイの手は繋いだままだった。

 幸せな幸せな宝物のような時の記憶を桜の花びらが舞い起こしていく。

『総司様にとって私はいつまでも神谷さんのままですけどね』

 そう言ったら、総司は困ったように口を尖らせた。

『努力は認めてください』

『努力しても結果が伴わなければ駄目だと教えてくださったのは総司様ですよ?』

『……そんな事言いましたっけ?』

『総司様の厳しい背中はいつもそう仰ってました』

『……それってなんかズルい』

 総司が更に口を尖らせるとセイはふふっと笑う。

『まぁ、呼び方なんてどうでもいいですけどね』

 こうして一緒にいられるだけで。

 そう笑ったら、総司の指がセイの指をぎゅぅっと握った。セイもその指を握り返す。自然に二人の顔が近くなって、甘い口付けになる。

 何度も何度も口付けを交わすと、お互いの息が弾んだ。吐息さえ混じる位置で総司が囁いた。

『私にとっては神谷さんは神谷さんで、ずっと大事な相手で変わらないからいいんですよ』

『……どっちがズルいんですか、もう!』

 ふわりふわりと花びらが舞う。総司と出逢ってからの幸せな日々を映しながら。

 最初の出逢いは、満開の桜の中だった。

 二度目の出逢いは、父と兄を失った炎の中だった。

 三度目の出逢いは、壬生浪士組宿所だった。

 ふわりふわりと記憶の欠片を映した花びらがセイの周りを舞う。総司の隣で笑った日も、泣いた日も、怒った日も、戦った日も、喪った日も、慟哭した日も。ただ涙するしかなかった日も。

『この生命は最期まで貴女に』

 ーーでも、きっと最後の眠りに着いた後、総司はセイの事なんてすっかり忘れて、一目散に近藤局長の後を追いかけて行ったに違いない。

 そう想像したら、セイは吹き出してしまった。

 いつだって総司はそうだった。

 セイをどれほど大事に思ってくれていても、近藤局長に勝てた試しは一度もない。

 ーーそれでも幸せだった。

 そっと産み月が近くなった腹部に手を添える。セイの中で育っていく総司の子供。一日に何度も元気よく蹴られるたびに息づくその生命の確かさをセイは掌で確かめる。

 子供が出来たのはあまりに予想外だった。

 予想外だったと言えば妻になって欲しいと言われたのも予想外だったけれど。

 ふわりふわり。

 桜の花びらが夢のように舞う。

 蛍の晩も夢のように美しかった。

『夢みたいに綺麗ですね』

 蚊帳の中に放った無数の蛍。短い生命の火を燃やし、魂を分け合う相手を求めて彷徨う様を二人で見つめた。

『ーー嫌になるなぁ……こんな情けない身の上なのに……幸せだなんて』

『私も嫌になります。本音じゃないとわかっているのに嬉しくてたまらない』

 セイが笑うと、総司は唇を尖らせる。

『失礼ですねぇ。ちゃんと本音ですよ?』

 音もせで おもひに燃ゆる蛍こそ なく虫よりもあはれなりけれ

 何百年も昔から蛍の火に人が自分の秘めた想いを重ねてきたように。セイと総司の中で静かに音もなく育ってきた想い。

『貴女が好きです』

 総司の手がセイの頬にかかる。セイの瞳を覗き込んで、総司は真面目な声で告げた。

『だから私は幸せですよ』

 そのままセイの髪をまとめた櫛を総司の手が外した。ぱさり、とセイの肩に髪が落ちる。

『沖田先生?』

『綺麗ですね』

 それは蛍のことだったのか、それともセイのことだったのか。

 そのまま重なりあった二人の影を蛍だけが見つめていた。